それとは反対に曖昧さゆるやかさ軽薄さなどは、ひらがなで表現したほうが雰囲気が伝わるようです。
漢語伝来以来の序列で、ひらがなよりも漢語(漢字)のほうが格式が高いものとして扱われてきました。
漢語は政治や国としての公式文書や、位の高い男性の言葉として位置づけられてきました。
ひらがなは女性や子供が使う日常の言葉として、漢語が使えない者の言葉として明確に区別をされてきました。
万葉集において万葉仮名として表現されたひらがなは、宮中における皇族たちの家庭教師として採用されたの女官たちの創作活動によって文学的な地位を確保していきます。
競うように優秀な女官が採用され、女流文学が盛んになりました。
「蜻蛉日記」から始まる平安女流文学は日記文学から物語文学に移行しながら、ひらがなによる文学を確立していきます。
やがて古今和歌集の選者でもある紀貫之が、女性の振りをしてひらがなを使って「土佐日記」を作りました。
以降は身近な言葉としてのひらがなによる随筆的な文学が定着していきます。
私は曲を作りますので、詞には少しこだわりがあります。
メロディを聞かせるための曲もありますが、基本は詞を聞いてもらうためにメロディを付けることだと思っています。
私の大好きなアーティストに日本語使いの「さだまさし」さんがいます。
彼の詞の一部で、こんな漢字の使い方、ひらがなの使い方もあるというものを見てみたいと思います。
「案山子」という曲の冒頭であり、サビでもあります。
漢字にできるものはすべて漢字で書いてみます。
元気でいるか
町には慣れたか
友達できたか
寂しかないか
お金はあるか
今度いつ帰る
この詞で言いたいことは一番最後の「今度いつ帰る」です。
そのために、具体的な心配事を羅列してるわけですね。
日本語ならではの、感情の盛り上がりを感じる詞だと思います。
曲を聴くときは普通は詞を見ません。
音で詞を聞きます。
最近ではTVの字幕に歌詞が出ることもあります。
漢字だらけのこの歌詞が字幕に出たら、曲の雰囲気とは異なってしまうと思われます。
私はひらがなを使ってこのように書きたいと思います。(変えたところは赤です)
げんきでいるか
町には慣れたか
ともだちできたか
寂しかないか
お金はあるか
こんどいつ帰る
3つの観点から置き換えています。
1つ目は都会に一人で出て行った家族を思いやる詩ですので、優しを表現するために音読みを含む漢字をすべてひらがなに置き換えました。
元気→げんき、友達→ともだち、今度→こんど、ですね。
次に最後の「いつ帰る」によりインパクトを与えるために、そこまでに至る否定的な意味で使われている言葉を強調するためになるべく漢字を残しました。
町には慣れたか、寂しかないか、お金はあるか、すべてマイナスイメージで使われていますね。
ここも音読みの漢字言葉が混ざるときつすぎるのではないかと思います。
(感覚ですけど・・・)
訓読み漢字ですので、音読みよりも優しいイメージがあると思います。
先ほどの「げんき」、「ともだち」はプラスイメージで使われていますよね。
最後は一番言いたいところの「いつ帰る」ですね。
今まで流れからすれば「かえる」とひらがなでもいいのですが、少し優しすぎると感じました。
ここは最後に強調するために「いつ帰る」と漢字で締めたいと思います。
置き換わったものを見てみた感じはどうでしょうか。
私たちの感覚の中にはどうしてもひらがなよりも漢字が上位にあります。
漢字にできるものはできるだけ漢字で書きたい。
この字が漢字で書けないと恥ずかしいというのもあるかと思います。
漢字で書けるけどあえてひらがなにしてみると、少し「やまとことば」に近づくと思います。
話す言葉としてはどちらでも同じです。
文字として残す時に、見せるときにひらがなで魅せるなんて素敵だと思いますが。