母語と母国語
56年生きてきて毎日が気づきと学びの中で、ライフワークである物流・ロジスティクスとは少し離れた周辺テーマを思いつくまま「休日ブログ」として残していきたいとおもいます。
まずは、言葉について。
きっかけは大学の大先輩である井上ひさし先生の言葉からの気づきです。
母国語はすぐに分かったのですが、母語って何?と思いました。
先生によれば生まれたときに一番そばにいて自分を愛してくれる人の言葉であり、方言や訛りを含めて母語というそうです。
通常は母親の言葉となるわけですが、人によっては乳母であったりすることもありますね。
この母語で子供は言葉を学びます。
大体4歳くらいまでで基本的な母語を身に着け始め、10歳くらいでほぼ完成されるそうです。
周りの言葉の環境がどうあろうと、一番接触時間の長い一番愛してくれる人の言葉をそのままコピーの様に受け入れるようです。
後期には社会性が出てきますのでコミュニケーションをとるために方言や訛りが調整できてくるそうです。
私の母語は言語でいえば日本語です。
その後の教育も日本語で受け文法を含めて古文を含めて形づけられてきました。
人の思考はここで身に着けた母語によってなされるそうです。
母語は思考そのものです。
母語以外での思考は結局母語による思考を通訳したものだそうです。
母語の特徴を日本語の特徴をもっと理解しておく必要がありそうですね。
英語を道具として使いこなせたとしても、母語が英語でない限りは日本語によって考えられたことを英語に通訳しているのであって、基本的に英語を母語とする人とは思考法が異なるわけです。
母語が日本語の人がどんなに英語を使いこなしても、英語を母語とする人とは思考法が異なるわけですね。
そう思うと英語を使えるようにするよりも、思考法そのものである母語(日本語)をもっとしっかり学んだほうがよさそうですね。
どうせ瞬間通訳なんかすぐそのうち実現してきますしね。初めはニュアンスがおかしくてもすぐ修正されすでしょうし、もうほとんど実現しているのでしょうね。
単に道具としての多言語を学んでも無意味な時代がすぐそこにあるのでしょうね。
そんな時間があったら思考の根源ツールとしての母語に磨きをかけたほうがよさそうですね。
「やまとことば」に愛の手を・・・