「かなづかい」とは一言で言い換えると話し言葉を「かな」でどのように表現するかということになります。
文字が使われだすよりもはるか前に話しことばだけの日本語であった「やまとことば」が存在していたことは間違いのないことだと思われます。
その「やまとことば」を書き表すために漢語の文字と音を利用して「かな」を生み出したことは記録するための日本語の革命ともいうべき出来事ではないでしょうか。
「かな」が今のような形で漢字を崩した一筆書きのような文字(ひらがなに近い文字)として記録に残っているのは「古今和歌集」の時代からであり、今からは1100年以上も前のことになります。
それ以前には万葉仮名や古事記のような漢字そのものによる表記となっていたものです。
「かな」の地位を築き上げた立役者と言えるのは紀貫之ではないでしょうか。
「古今和歌集」の選者としてその序に「かな」で記した「仮名序」を残しています。
同書の漢語で書かれた序のことを「真名序」と呼んでいたことからもわかるように、漢字が「真」であり仮名は「仮」としての位置づけとされていたのです。
また、男性による書き物として漢字による表記で定着していた「日記」といわれた形態について、それまでは女性しか使わなかった仮名による「土佐日記」を記したのも彼です。
さらには仮名による最初の物語といわれている「竹取物語」(作者不詳)も彼の書いたものがあることが記録に残っています。
(参照:紀貫之という天才を見る)
「かなづかい」について述べるためには明治期からの言文一致運動と第二次大戦後の国語改革に触れないといけませんが、言文一致の「言」と「文」について理解しておく必要があると思います。
「言」はその字のまま口に出した言葉そのものであり、そもそも文字を持たなかった古代日本語が口頭によって継承されて今に至っている言葉や文法のことになります。
時代によってさまざまな影響や変遷を繰り返して現代に至っていますので古い言葉や言い回しはありますが「言」に変わりはありません。
いわゆる口語(体)と言われるもの(厳密には定義があるようですが)であり話し言葉のことだと思っていいと思います。
「文」のほうは少しややこしいことになります。
文語(体)として調べてみると、「平安時代の京都の貴族階級の口語(中古日本語)をもとに、以後の言葉の影響も受けながら形成された。原則として歴史的仮名遣いで書かれ口語体とは異なる語彙や文法を持つ。」(wikipedia)となっています。
文語というと文として表記するための独特のことばや文法を持ったもののことかと思いがちですが、もともとは話し言葉であったことがわかります。
分かりにくくなっているのは「歴史的仮名遣い」という言葉ではないでしょうか。同じようにwikipediaで見てみましょう。
「歴史的仮名遣いとは一般には、江戸時代中期の契沖による契沖仮名遣を修正・発展させ、明治から第二次世界大戦終結直後までの公文書や学校教育において用いられたものであり、平安時代初期までの実際の綴りを発掘したものを基としている。」
第二次大戦後の国語国字改革によって「現代かなづかい」が政府より告示されるまでは公の場や教育・公的な記録などにおいて正式な仮名づかいとされていたものになります。
契沖(1640-1701年)という名が見えますが、江戸時代中期の真言宗の僧であり国学者でもあった人です。
契沖は「万葉集」を正しく理解しようとする研究を進めるうちに、当時の主流であり手本でもあった定家仮名遣(藤原定家が定めた言葉の用例でありのちに行阿によって「仮名文字遣」として増補されることになる)に矛盾があることを発見します。
そこから「万葉集」をはじめ「古事記」「日本書紀」「源氏物語」などの古典から歴史的な仮名遣いを拾い集め分類したものを「和字正濫抄」に著わしました。
この「和字正濫抄」に準拠した仮名遣いのことを「歴史的仮名遣い」(厳密にはその後にも修正されている)と呼んでいます。
藤原定家が「万葉集」などの古典を理解するために必要としていた仮名遣いがあったことになります。
つまりは、藤原定家(1162-1241年)の時代においても「万葉集」「古今和歌集」は古典であり、その解釈のためには特別の古典的な仮名遣いを理解していなければならかったということになります。
勅撰集としての「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の編者として活動した定家にとっては「万葉集」「古今和歌集」の正確な理解は避けて通ることができなかったものだと思われます。
藤原定家が定めた仮名遣いを契沖・行阿が修正したものが戦後の「現代かなづかい」までの歴史的仮名遣いとして継承されてきているものとなっています。
「現代かなづかい」においても「歴史的仮名遣い」については一部の例が表示されていますが、現代かなづかいの特殊例としての提示にとどまっています。
現在では「歴史的仮名遣い」に触れるためには分類としての古典文学を引っ張り出さなければなりません。
国語教育においてもその線引きは明確になされています。
それでも現代の短歌や俳句の中では時として「歴史的仮名遣い」を見ることができます。
日常的な言葉から離れて風情や郷愁を表現するときにはより心に響く言葉となっているのではないでしょうか。
日本語の歴史から見れば現在の私たちが使っている「現代かなづかい」は70年にも満たないきわめて歴史の浅いものとなります。
また、「現代かなづかい」が告示されてから40年経過してのちに今現在の私たちの国語の基本となっている改定版としての「現代仮名遣い」(昭和61年)が公布されています。
それからするとさらに短い期間となってしまいます。
明治期に言文一致運動が盛んだったころには文語体においても様々な分類がなされていました。
その名称だけでもどのような文であったか想像できるものもあるのではないでしょうか。
漢文体、和文体、和漢混清体、漢文訓読体、雅俗折衷体、欧文直訳体、和漢洋調和体などと呼ばれていたようです。
この名称は現代でも使われているものがほとんどです。
明治が近づいてくると西欧の文化が少しずつ紹介されてきておりそれらを取り込んだ言葉も見られるようになります。
そうなるともはや「やまとことば」ではなく外来語や外来語の直訳といった言葉が多くなってきています。
契沖が「和字正濫抄」を著わしたころまでが純粋な「やまとことば」の仮名遣いということになるのでしょうか。
「歴史的仮名遣い」イコール「やまとことば」と思いがちではありますが、「現代かなづかい」までの間では大量の西欧文化や外来語が使われるようになっています。
難しい仮名遣いを使いこなすことよりも音としての「やまとことば」を楽しんだほうがよさそうですね。
専門家たちでさえもいまだに「歴史的仮名遣い」については研究の途中であり結論が出ていないことがたくさんあるのですから。
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