2016年7月13日水曜日

新しい日本語か?「ほぼほぼ」

あなたは聞いたことがありますか?

「ほぼほぼ」という言葉です。

恐らく今年になってからあちこちで見かけるようになりましたが、SNSでは頻出しているようです。


あるデータによれば仕事上でも40代にまで浸透し始めているようです。

30代までの使用が日常化してきており、それを聞いている40代も自分では意識しないうちに耳に馴染んでしまい知らないうちに使っていることが多いようです。

どうやら日本語の音としてはとても受け入れやすいものとなっているようですね。


若い人たちから広まった言葉であることに間違いはないようでありますが、文字言葉としてではなく日常の話しことばとして使われ始めたと思われます。

音としては日本語の一般的な口語の定番であるオノマトペを踏襲したものとなっており、しかもその意味の持っている何とも言えない軽さによって幅広い使用場面をに対応できるものとなっています。

もとになっている「ほぼ」という言葉自体が非常に漠然としたことや状態を表す言葉となっているので、使用機会の多い言葉となっているものです。


同じ言葉を二つ重ねる場合にもたらされる効果には二つのものがあります。

もともとある言葉をより強調する場合が一つです。

「ダメ」という言葉を重ねることで「ダメダメ」となると、「ダメ」よりもさらに上の重いダメであるという感覚を持つようなものです。

もともとの言葉がはっきりとした厳しいイメージを持っている場合に効果を発揮するものです。


もう一つの効果が言葉を重ねることによってもとの言葉が持っているイメージをより薄くしてボカしてしまう効果があることです。

「ほぼほぼ」はこちらの効果の方が強く出ているのではないでしょうか。

「ほぼ」というイメージも漠然としてしていますが「おおよそ」や「概略」といった意味になります。

二度重ねることによって「ほぼ」よりもさらに薄れたイメージとなって、使用場面を増やしていることになります。


日本語の持っている基本的な性格は文字で意味を表し限定していくことが得意なものです。

それでも日常的な言葉のやり取りは文字を伴わない話し言葉(口頭言語)によることの方が多くなっているものです。

したがって多くの言葉は話し言葉としての使いやすさである音としての伝えやすさが言葉として広がるための大きな要素となっています。

「ほぼほぼ」は音としての軽さや使う場面を選ばない軽い意味など、現代社会において使いやすい要素をたくさん持った言葉ということができると思います。


厳格さを要求される環境においてはそもそもの「ほぼ」という言葉は嫌われる言葉となっています。

その「ほぼ」が重なっている言葉は正確さや厳格さを求められる環境においては嫌われる言葉であることは間違いないと思います。

きちんとした時間やルールのなかで縛られている若者たちが、その反動として「ほぼほぼ」を意識しなくとも気軽に使うようになることは十分に想定できたことではないでしょうか。


その「ほぼほぼ」が40代や50代においても無意識に使われ始めている状況は、その年代においても同じような感覚が伝わっているということだと思われます。

私なども、「ほぼ」と言われると「ほぼじゃなくて正確にはどうなんだ」と言い返したくなる方ですが、「ほぼほぼ」と言われるとなんとなく「それじゃ仕方がないな」と思い込まされてしまう状況にあります。

初めて聞いた時に感じたような違和感もほとんどなくなってしまい、知らないうちに自分でも使っていることに驚いたくらいです。

一般的なビジネスの場でも登場してくるようになった「ほぼほぼ」は今後どのような広がりを見せて定着していくのか、あるいは一時のはやり言葉として消えていくのか注視していきたいと思います。


「どきどき」「ゆらゆら」「ふらふら」などの状態を表す擬態語とは一線を画した表現なのですが使われ方によってはきちんとした分析カテゴリーなど意味のないものとなってしまうかもしれないものです。

使っている人によっては「ほぼほぼ」に込めた意味について、「ほぼ」をさらに薄めたものとしてよりも「ほぼ」よりはもっと明確に確実になったものとして扱っている場面もあるようです。

その人にとっても気軽に使える言葉として、また「ほぼ」よりも薄くも濃くも使うことができる言葉として特に意味を持たさなくとも口癖のように使うこともあるようです。

他の言語には見ることができない極めて日本語らしい言葉であると思います。


ほとんどの新しい言葉は学生生活を送っている若者たちが発信源になることが多くあります。

時間とルールに厳格な生活を余儀なくされながら次から次へと新しい言葉を学習していく環境にありながらも感受性の豊かな感性を持った時代に感覚的に生まれて言葉があります。


地域差があったとしても学生時代の生活環境は社会に出てからの環境よりも共通している部分が多いものとなっています。

それだけ受け入れられる感性にも近いものがあるということになるのではないでしょうか。

「ほぼほぼ」が10代20代だけでなく40代50代までにまで侵透しつつあるということは、そこにも世代を超えた共通する感性が残っていることの表れでもあると思われます。


世代を超えたコミュニケーションのためには大切な要素でもあります。

今や死語となりつつある「ナウい」などよりは日本語としての基本的な感覚を備えた言葉ではないでしょうか。

若者たちの間に広がるカタカナ言葉は今も昔もそれほど変わりがないと思われますが、最近の新しい言葉にはひらがなの感覚が多いと感じているのはわたしだけではないと思います。

日本語の持っている音の感覚はしがらみの少ない若者たちから発信されることで継承されていくのかもしれないですね。

「ほぼほぼ」の使用場面を少しは気にしてみませんか?

最近はテレビやメディアでも登場していますので、ちょっと意識しただけで捕まえることができると思いますよ。



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