ラベル 記憶 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 記憶 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年11月20日金曜日

言葉を理解するということ

言葉と言う「ことば」も非常に抽象的なものであり、単に「言葉」という音に出会った時に思い浮かべる意味は一人ひとり異なったものとなっているのではないでしょうか。

今ここで、「思い浮かべる」と言う表現を使いました。

これがまさしく理解することの第一歩ではないでしょうか。


言葉として発せられた音は、ひらがなの音として伝わってきます。

受け取った側はそのひらがなの音を言葉として置き換えて自分の持っている「ことば」で思い浮かべることで意味を理解しようとします。

同じ言葉に対して話し手の思い浮かべている言葉の意味と聞き手の思い浮かべた言葉の意味が同じならば誤解は生じないことになります。


しかし、現実には数多くの誤解が生じていることは当たり前のこととなっています。

同じ言葉についてなぜこうも理解が異なっているのでしょうか。


問題は一つひとつの言葉についてだけではありません。

言葉については同じ理解をしていたとしても、その言葉を用いて表現された文章や表現によって理解が異なってしまうことも起こり得ます。

それでも、ここでは理解のための最小単位としての言葉をまず考えてみたいと思います。


言葉は音だけでは意味をなさないものとなっています。

「アオ」という言葉は「ア」と「オ」の音からできていますが、これを「ア」でもなく「オ」でもなく「アオ」として一つの言葉として聞き取ることは実は大変難しいことです。

しかも、ひらがなの音がたくさん続く文章の中から「アオ」としてこの二つの音だけを一つの言葉として区別することはかなり難しいことでもあります。


聞こえてくるものはひらがなの音の連続であり、それを言葉のつながりとしての表現であることを認知しなければできない芸当となっています。

そのためには、ひらがなの音を聞きながら一つひとつの音がどんな言葉の一部の音なのかを判断していかなければなりません。

音をすべて聞いてから言葉を判断していたのでは、次に出てくる音をつかみ損なうことが起こりますのでそこでは聞き取ることのできた音からの次の音に対する推測や準備ができていることになります。


もちろんすべての音に対してこのようなことをしているわけではなく、キーとなる音があることになります。

その音をキーだと感じるための方法としてアクセントや抑揚、休止などが役にたちます。

しかし、これも話し手と聞き手のその使い方に違いがある場合には誤解を生じることになってしまうことにもつながっています。


推測をするためには、聞き手の側でそのキーとなる音から推測される言葉を瞬間的にいくつか思い浮かべなければなりません。

あるいは、次にどんな音が続きそうかを推測することになります。

推測が外れた場合にもすぐに対応しなければなりませんので、かなりの候補が必要になります。


これらの推測に使われる言葉が聞きの持っている言葉であり、記憶として持っている言葉です。

ここではその言葉の意味はあまり関係ありません。

意味が分からなくとも言葉として認識されたものであればそれで構わないことになります。


次の段階として初めて言葉として認識できたものの意味が必要になってくるのです。

言葉としては認識できたけれども馴染みがなく意味の分からないものやたぶん言葉であろうと思われるようなものについては、そのままわからないものとして扱うのか相手に確認するのかということになります。

それは場面や環境や重要度などによってその都度対応が違ってくると思われます。


言葉として捉えることができたものに対しては、その言葉に対して思い浮かぶ意味を当てはめることになります。

聞き手の持っている言葉に対する意味は一つではありません。

聞き手の持っている言葉の意味にはある幅があります。


その幅は聞き手の経験と記憶によって作られて日々変化をしているものとなっています。

その言葉に出会うたびにその言葉の意味を更新するための経験を繰り返していくことになるのです。

同じ言葉に出会う様々な経験を通じて自分としての意味が出来上がっています。


今までの経験によって自分のなかでその言葉に対してつけてきた意味があります。

それはその言葉に出会うたびに経験してきたことの共通性によって出来上がってきたものです。

まったく同じ経験をしてきた人はいませんので、全く同じ意味を持っている人はいないことになります。


国語辞典のように一つの言葉に対して決まりきった明確な解釈とはなっていないことが普通です。

中には自分の持っているその言葉に対する意味とは違いすぎるために切り捨てた経験内容もあれば、大きく書きかえられた内容もあることになります。

環境や状況によって変化する意味の幅もあればかなり限定的な記号のような意味もあることになります。

一言では説明しきれない意味としての幅を持っていることになります。


その中から話し手の意図を推測して受け取った言葉に対して理解をしていくことになります。

基本的には、話し手の言葉の選択も自分の持っている言葉の意味によってなされていますので、話し手の思い浮かべている言葉の意味と聞き手が思い浮かべた言葉の意味が全く同じになると言うことはその意味がきわめて限定された学術記号的な言葉くらいではないでしょうか。

一般的な言葉においてはほとんど違っていて当たり前と言うことになるのではないでしょうか。


一人ひとりが持っている言葉の意味を表現することは大変難しいことです。

辞書的な表現のように簡単には出来ないからです。

しかもその意味が持っている幅については一人ひとりのその言葉体験によって異なっており、その境界は極めて曖昧となっています。

きちんと説明しようとすればするほど多くの「ことば」が必要になってきます。


先ほどの「アオ」という言葉は、空の色にも海の色にも使われますし信号の色にも使われる場合もあります。

もちろん色としてはすべて違った色です。

また、「顔がアオい」や「アオ二才」「アオくさい」などのような使い方もされます。

これらの言葉の経験のない人にとっては全く意味の分からない表現になってしまいます。


また、同じ表現を経験していたとしても場面や環境によって意味が異なっていることもあるでしょう。

経験は一回限りのことであり、同じ言葉について全く感じ経験をすることはありません。

全ての経験が初めての経験でありそれの繰り返しが行なわれていることになります。


経験によって更新されているその言葉の共通性が自分の持っているその言葉の理解です。

それは固定的な限定的なものでもありません。

ひらがなの音の連続から受け取ることができる想定できる環境によっても理解する幅があるものとなっているのです。


言葉を言葉によって説明し理解するという行為は一種の矛盾をはらんでいる行為だと思われます。

わかり易く言えば絶対的なものがないことだと言えるのではないでしょうか。


同じような場面で同じ言葉の経験を数多くしていると、同じ言葉の理解に対して似たような幅になってくることがあると思われます。

しかし、その同じ言葉に対して他の場面でもそれぞれが経験していることによって、完全一致することはありえないことではないでしょうか。

辞書的な理解はあくまでも最大公約数的な解釈ということができると思われます。


いちばん生活環境が似ており統一的な言葉の使われ方を同じ場面で受けてきた言語の初期教育時の言葉がそれぞれの人にとって一番近い理解を持った言葉となっていると思われます。

それこそが「ひらがなことば」ではないでしょうか。

理解して欲しければできる限り「ひらがなことば」に頼ることが一番いい方法になります。

言葉を説明しようとしたときに使っているのが「ひらがなことば」なんですから。



このイベントは必見です!
お早めにどうぞ!

2013年10月27日日曜日

言葉と記憶

教育者や脳科学者の共通した見解として、5歳までの保育環境が人としての基本を決めてしまうことがあります。

特に2歳から4歳までの間で、脳の発達が最大になることと関係が深いと言われていますが、よくわかっていないこともたくさんあります。



2歳から4歳にかけて脳の容積は約4倍になります。
その後も容積は15歳くらいまで大きくなりますが、その割合はこの時期に比べたら微々たるものです。


この2歳から4歳の時期にかけての発育に関しての様々な実験や観察によって、またその後の成長の観察によってもわかってきたことがあります。
人が生きるために必要なことを身につけている時期ですが、本人は意識せず記憶にも残っていないことです。

刷り込みに近い状況だと思われます。


何かを教育として与えれば、刷り込みとして取り込んでしまいす。
数学的な公式や代表的な理論は教え込めばそのまま刷り込まれてしまいます。

ところが、この時期に英才教育的に教え込まれた知識は、繰り返し引き出すことによって定着していきますが、応用が一切効かないことがわかっています。
そのことをそのまま丸覚えしているだけなのです。

継続的な観察によって英才教育的な教え込みをすると、きわめて基本的な会話や対人関係の構築に欠落が起こることもわかってきました。
現在では幼児の英才教育を推奨する学者は一人もいないでしょう。



記憶や知識の習得についても多くのことがわかってきました。
そのすべてにおいてに言語が大変重要な働きをしていることもわかってきました。
言語の習得がなによりも優先するすることがわかってきたのです。


言語が習得できなければ記憶することができません。
ですから、言語を持っていない幼児期の記憶はないのです。
言語が少ない幼少期の記憶はほとんどないのです。
物心がつく時期とは、一通りの言語の習得が出来上がった時期なのです。


いつごろくらいからの記憶がありますが?

私は断片的・瞬間的には、幼稚園の年長のころの記憶がありますが、鮮明ではありません。
小学校低学年のころの記憶も断片的で不鮮明です。
残っている写真を見ても記憶と結びつくものは少ないです。

小学校高学年になると、写真を見るとかなりのことを思い出すことができます。
かなり鮮明に表現することができます。


小学校に入ると全国的に統一された言語習得カリキュラムが始まります。
様々な知識を身につけるための学習言語の習得です。
国語科を中心として、学習言語を習得しながらその言語を媒体として様々な学習をしていきます。



学習言語を学ぶ前に、学習言語を受け入れられるように身につける言語があります。
それが母語です。
母親から伝承的に学ぶ言語です。

この言語が刷り込みになって、その後の様々な経験が知恵や知識として取り込まれていくことになります。


母語は教えることができません。
幼児期には遺伝的に母語を身につけるようにできているようです。
親や周りがすることは言葉の環境を整えることあり、より多くの言葉を教え込むのではなくて、より多くの言葉に触れる環境をつくることなのです。


子供は勝手に言葉を身につけていきます。
いろいろな言葉に触れる環境が大切になっているようです。
2歳頃には言葉の噴火とも言葉の爆発とも言われる、一気に言葉を発し始める時期が来ます。

祖父母、兄弟、隣近所、保母さん、多くの人の言葉に触れることが必要になってきます。
一番安心して入ってくるのが母親のことばです。
母親を経由して、周りの人の言葉が入ってくることが一番心地いいようです。


4歳くらいまでに母語の基本が形成されますが、子供の記憶には残りません。
この時までに母語にする言語を決めなければいけません。
海外生活の場合は、その子の母語として決めた言語の環境を整えるのが大変になります。

その後の学習言語の習得過程において、母語の修正も行なわれていると考えられていますが、母語は本能的に最も深いところに刷り込まれることになります。
この時に習得された母語によって、脳の機能が決まっていきます。

日本語を母語とする場合と、英語を母語とする場合では脳の機能が異なります。
日本語を母語とすると、自然の音や虫の声を言語として認識するようになります。

英語を母語とすると、自然の音や虫の声を、機械音などと同じように雑音として認識するようになります。

 

母語の上に、学習言語として身につけた第一言語が形成されます。
通常であれば、母語と学習言語は同じ言語となりますが、時として異なる場合があります。

日常的には学習言語として形成された言葉が使用されますが、感覚や感性としては刷り込まれた母語のものになります。

母語と第一言語が異なると、日常的に友達と会話をしていても感覚が違って迷うことが出てきます。
特に、母語が日本語で第一言語が英語の場合は、英語環境の中での本人の違和感は相当なものとなります。

最近では、母語と第一言語や第二言語を調べることができるようになっており、幼児期に海外で過ごした人の不安解消に役立っているようです。


日本語の場合は、学習言語の基礎的な習得が10歳前後までかかるようです。
物心つく年齢というのは、大体このころのようですね。
小学校高学年ころから、記憶が鮮明になってくるのは、単に覚えていないということではなさそうですね。

言葉と記憶は密接に結びついてます。

言葉がないと記憶ができないのですね。