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2016年2月1日月曜日

日本語の持つ性格・・・無意識の影響

日本語を母語として持っている日本人が、日本語の環境の中だけで生活をしていける状況はかなり前に不可能にになっている思われます。

義務教育における外国語の教科が始まったのは、私が経験したのは中学生に入学してからの英語からでした。

現在では小学校五年生からが標準となっており、さらに実験的には小学校の三年生からの取り組みも始まっています。


また、日々触れている情報においても最早日本語だけでは成り立たなくなっているのが現状ではないでしょうか。

その中には日本語として取り込んできた外来語や和製〇〇語として作ってしまった見た目だけの外国語も多くなってきており区別がつかなくなっていると思われます。

明らかに外国語であるとわかる言葉であれば意識して避けることも可能ですが、普段使われる日常語の中にも数多く浸透しているのではないでしょうか。


その中でも日本語の語彙の一つとして単語として取り込まれているものについては、日本語に与えている影響はそれほど大きなものとはなっていないと思われます。

ご飯やみそ汁と同じ感覚で使われているスクランブルエッグやトーストは、外国語というよりはカタカナの日本語化し日本語の語彙の一つとなっていると思われます。

この状態になれば、元の外国語として持っていた感覚を離れて日本語の感覚として日本語の一つの名詞ということができます。

日本語が持っている文法や用法のなかで日本語として使用されている単語となっているからです。


この種の言葉はほとんどが名詞でありますが、一部の動詞は「ジョインする」のように「〇〇する」といった形で取り込まれているものもあります。

joinは英語では名詞としての使用法はありませんが、「〇〇する」という用法によって日本語としての動詞化したものと言えるのではないでしょうか。


このような状況は動詞であったとしても単語としての語彙が増えただけであって、日本語としての基本的な文法や用法・構造などに影響を与えているものとはなっていません。

したがって、日本語として持っている基本的な性格や傾向については変わっていないと言うことができます。

その意味では、日本語化したことによって単語として日本語の語彙を増やしたものとして扱うことができるものです。


動詞的な使い方をされる外国語を「〇〇する」という形で取り込んだのは、日本語が基本的な性格を維持するための工夫の一つではないでしょうか。

名詞は動作を表しませんので名詞だけで文章を構成することは出来ません。

反対に、動詞は命令形や主語が想定できればそれだけで文章を構成することができます。


単語の単体では言語の性格や傾向を表すことは出来ませんが、短くとも文章になってくると言語の基本的な性格が現れてきます。

それは文章に含まれている要素の関係によってその言語の持っている独特のものが現れてくるからです。

主語、動詞、修飾語などの並び方や関係性によってその言語が持っている基本的な性格が現れてくるからです。


漢字においても「開店」は店を開くことですが日本語としては名詞として使われます。

「開店する」という表現によって日本語の動詞になっているのですね。


基本的な文章の構造だけではなく、並び替えにおける表現がどこまで許されるのかや疑問や命令・強調の時の語順の入れ替えの仕方などによって言語としての個性が出てくるからです。

ひいてはそのことから単語同士の関係性を表すことから文章同士の関係や段落同士の関係性を表すことになります。

結果としてどのような論理を基本としているのかや状況に応じた論理の融通性や展開のバリエーションなどまでつながっていくことになります。


先ほどの「開店」は「開店する」と「店を開く」では語順が入れ替わっていますよね。

更には「開店」という名詞まで入れると同じことに対して様々な語順と感覚が存在することになります。


外国語を習得しようとするときに、単語は丸暗記で覚えることができても意見やニュアンスを伝える時の表現の仕方がなかなか身につかないのはこのことが影響しているのです。

単語を覚えているうちは、母語として持っている自分の言語の単語として覚えますので日本語を母語として持っている場合には日本語の単語として覚えていることになるのです。

どんなにアルファベットで表記してみてもそれっぽい発音をしてみても日本語の語彙の一つにすぎないのです。


母音の数や主語や述語の語順については世界の言語のなかで日本語は決して特殊なものではありません。
(参照:日本語って本当に特殊なの?

その日本語が先進国の言語の中に入るときわめて特徴的な特殊な言語となってしまうのは、世界の言語のなかで先進文化を作ってきた言語が特殊なものであったことを物語っていると思います。

世界の先進文化を作ってきた言語は、英語でありフランス語・スペイン語・ロシア語・ドイツ語であり古くはラテン語や中国語です。


いわゆる先進国の言語は決して世界に存在する言語としては平均的な標準的なものではなく、論理や効率や説明に適した性格を持った特殊な言語たちであるということができます。

先進国は戦勝国であり技術・経済において世界に影響を与え引っ張ってきた国です。

最後の大戦で戦敗国となったのが日本、ドイツ、イタリアであり世界の決定機関である国連における公用語の地位を与えられることのなかった言語です。

遅れてやってきた巨大な後進国だった中国も先進国の仲間入りをしつつあります。

中国語は国連創設時に公用語になっていた言語です。


日本語の持つ基本的な性格は自己主張をしないで理解しようとするものです。

この基本的な性格が言語の構造にも現れているのです。


自由度の高い語順でありながらも動詞(述語)は最後でなければならないのです。

他の先進国の言語で動詞(述語)が最後に来るものはありません。

むしろ、必ず主語を必要としそのあとすぐに動詞が来るものばかりです。

主語はほとんどの言語が必ず必要であり具体的な人や物でない抽象的なことを表すための代表的な主語までも存在しているものが多くなっています。

つまり、「誰が(何が)どうする」を極めて明確に伝えるために都合よくできているのです。


日本語は、省略の言語と言われるほど言語化されることが少ないものとなっています。

その中でも主語が省略されることは当たり前と言えるほどです。

さらには、語順の自由度が高く明確な表現を避けようとする性格を持ったものとなっています。

基本的な態度は自分を主張することよりも相手を理解しようとする言語となっているのです。


そして、理解しようとする中身は言葉や論理よりも相手の気持ちや感情・状況のほうに向かっているのです。

論理よりもその論理を展開している環境や状況においてどのような気持ちでその論理を展開しているのかが理解の中心となっているのです。

そのために、同じ状況であってもさまざまなニュアンスの違いを表わせる表現を持っているのです。


厳しい自然にさらされた後進国の中には、日本語と同じような性格を持った言語が多く存在しています。

日常的に使われている語順や単語の性格についても似たようなものが多くなっています。

しかし、彼らの言語は技術や経済の分野においては先進国とはなり得ませんでした。

世界に影響を与える言語とはならなかったのです。

日本語の持っている基本的な性格は、現在の先進国の言語よりは彼らの言語の方により近いものとなっていると思われます。


母語として持っている言語の基本的な性格や傾向は、あらゆる活動において影響を与えていますが意識することはないと思われます。

母語の環境にいる限りにおいては、その必要が全くないからです。


ところが、言語の基本的な性格の異なるものや環境に出会った時に、一種の理由のない違和感的なものとして感じる感覚的なものとなっているのではないでしょうか。

これを放っておくとストレスを感じることになるのだと思います。

今の日本社会は、アメリカ型英語の感覚によって作られた社会を模倣してきたものです。


とくに政治や企業の運営においてはその影響がかなり強いものとなっていると思われます。

世界でストレスを感じている社会人がいちばん多い日本の現状と無関係ではないと思っています。

具体的的な原因を探してみたところで、言語の基本的な性格の違いによる感覚的なところまで追及することは難しいのではないでしょうか。


理解することにおいては無意識に勤勉に行なうことが苦ではありませんので理屈で理解することは得意なのです。

しかし、理解していることと実際の活動における感覚の違和感とは別に存在しているのです。

これは無意識に起こっていることです。


言葉にすれば「訳もなくイヤだ」と感じることかもしれません。

理解出来るけどやりたくないことなどはその典型ではないでしょうか。


日本語だから持っている特殊な感覚ということではないと思います。

あくまでも相対ですので、他の先進国の言語に比べるとこのような特徴があるということです。

他の言語で触れることが多いのは先進国の言語であることに間違いはないでしょう。

それは好むと好まざるとにかかわらず日々行なっていることになります。


そんな見方をしていったら、もっと実用的な日本語の性格の利用の仕方も見つかるかもしれませんね。

ストレス対策にも役立つものが見つかるのではないでしょうか。

大切に持ち続けたい性格と傾向ではありますね。


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2015年7月1日水曜日

言語で決まる思考の性格

人の性格を決める大きな要素として、持って生まれたものと後天的な環境があると思われます。

持って生まれたものは自分で選んだり意思を持って変えたりすることは出来ませんが、後天的な環境については自らの意思で選んだり変えたりできるように言われることがあります。

自分の意思と行動力によって性格そのものを変えることができるように言われるのもそのためです。


しかし、後天的な環境によって形成される性格においても、基本的な部分についてはいわゆるもの心がつく前に決まって決まっていることがほとんどのようです。

そのように見てくると、自分の意思を持って知的活動が行なえるようになるころには、個人の性格的なことはほとんど決まってしまっているということができます。


この性格は当然のように思考における性格として、ある種の傾向を示すようになります。

敢えてその傾向に逆らうようなことをしない限りは、自然と何らかの傾向を示すようになってくることになります。

この傾向を形作るものが、持って生まれた気質・性格であり、後天的に環境によって形成された性格・傾向ではないでしょうか。


持って生まれた気質については、西洋占星術や四柱推命学などによって知ることができるようになってきています。

これらは、一般的な占いとは一線を画した統計に基づいた科学的なアプローチによるものだということができます。

統計学的なアプローチによるものですから、例外は付ものですしその分類がすべてに当てはまるものではりません。

それでも、グループとしての傾向を示すものとしては十分役に立つものとなっていると思われます。


本格的な占星術や四柱推命になると個人的な細かな情報に基づいて統計学的な分類に照らし合わせることが行なわれますが、一般的な傾向を知るためならば簡素化されて身近になった動物占いや気質学などでも十分対応できることが分かります。

持って生まれた気質については、生年月日時間という固定した情報を基にして統計的に収集され分類されたものがほとんどですので、比較的わかり易い分類が出来上がっています。


四柱推命にしても西洋占星術にしても、元のデータが収集され分類された地域における生年月日が基準になっていますので、その地域と時間的なズレがある場合には修正が必要になります。

四柱推命の発祥地は中国ですので、日本において対象とする場合には中国との時間のズレを調整しなければいけません。

そのズレの修正によっては、日本における生年月日を読み替える必要も出てくることになります。

この修正がしっかり行われていないと、せっかくの統計・分類に対して誤った利用をすることになってしまいます。


後天的な環境は、生年月日のような固定意的な要素がありませんので千差万別の状況になります。

それでも、後天的な環境における一番大きな要素をとらえることによって傾向を知ることができると思われます。

その一番大きな後天的な要素が言語だと思われます。


後天的な環境のあらゆる影響が言語によって行われていることになりますので、言語が持っている基本的な性格はすべての後天的な影響に及んでいると言えるのではないでしょうか。

知的活動は言語によって行われる活動ですので、その中心である思考にも言語の持つ性格や傾向は大きく影響していることになります。


このことは同一言語を使用している環境においては、意識することもなく問題にすることもなかったことではないでしょうか。

様々な言語と触れる機会が増えたことだけではなく、それぞれの言語によって作り上げられた論理に言語の持つ性格が反映されていることが分かってきたからです。

それぞれの言語が持っている基本的な性格が存在しており、その言語を使用してなされる知的活動においてはその性格を反映した傾向が現れることになります。


単一言語の環境においては意識する必要もなかったことが、単一言語やその言語によって作り上げられた論理や技術の中だけで生活していくことは不可能な環境になってきています。

単一言語だけを取り上げているうちは、言語の持っている性格については考える必要もなかったと思われます。

自分の持っている言語が意識しなくとも持っている基本的な性格を知っていることは、これからますます重要になってくると思われます。


持って生まれた性格・気質に母語として持っている言語の基本的な性格が合わさったものが、自分の知的活動における傾向を決める要素となっていると思われます。

敢えて方向性を決めて行わない知的活動においては、自然とこの傾向が現れることになります。


このことは、いくつかある選択肢から選ぶ場合の傾向にも現れてきますし、論理の組み立てにも現れてくることにもなります。

また、この傾向に沿って行なう知的活動が、自分にとっては一番得意な活動方法であり効率が良い質が高い方法でもあることになります。

したがって、自分の知的活動の傾向を知っていることは、効率の良い質の高い知的活動を行なうためにも必要なことにもなります。


持って生まれた性格や気質を知ることと同じように、自分の持っている母語の性格や傾向を知ることでさまざまな活動が楽にできるようになります。

また、違った性格や傾向とぶつかった時のストレスの対処の方法が見つけやすくなることにもなります。


日本語は、他の言語とは違った特徴をたくさん持った言語となっています。

持って生まれた性格や気質は使用言語に関係なくあらゆる人に共通することかもしれません、それに言語が加わった時にさらに細かく分類がなされていくことになるのではないでしょうか。

日本語の性格や特徴について知っておくことはいろいろな場面で役に立ちそうですね。






2015年6月28日日曜日

言語の持つ性格

それぞれの言語が持っている基本的な性格があります。

言語はそれぞれの生活環境や文化環境のなかで生き抜いていくために相応しい形で変化してきたものと言えると思われます。

現存する世界の言語を大きく分けると、ラテン語起源の言語とそれ以外の言語と分けることができます。


ラテン語起源の言語は世界の文明と技術を引っ張ってきたものであり、力による植民地政策や新大陸の開拓によってその言語文化を世界委中に広げていったものです。

その言語の性格はキリスト教という精神的なパートナーを伴って、それぞれの性格にとって都合のいいように解釈をして利用していきます。


ラテン語起源の言語の中でも、語彙としては様々な言語間の行き来をしながらもそれぞれの語順を作っていきます。

特に主語と動詞とその他の語の並びを見ていくと、言語の性格を映していることが分かります。


厳格にSVOを守っている言語の典型が英語になります。

常に主語を必要とし、動詞が主語につづいて大変重要な働きをします。

そのために論理が明確になり、主張が明確になります。

個人の主張と説得に重点が置かれた言語ということができます。


ラテン語起源の言語であっても、スペイン語やポルトガル語については語順がとても自由になっています。

特にスペイン語においては、基本形はSVOなのですが、どのような順番になっても正しい文として成り立っておりとても自由な構文となっています。

さらには、主語によって動詞の変化があるために動詞だけ存在すれば主語がなくとも理解するうえでは問題のない文となります。

そのために、主語が省略されることも頻繁にあります。

わたしたちが知っている、英国の厳格さやスペインの奔放さに通じるところがあるのではないでしょうか。


ラテン語起源の言語でない言語で話者の多いものが中国語です。

中国も広大な国土における侵略の歴史を繰り返してきており、使用している文字は漢字という歴史的な独自の文字を使用しているものの、語順については英語なみの厳格さを持った構文となっています。

国体として個の感覚に慣れていないために、英語圏の国ほどの社会と個の間を厳格に規定された法律制度はありませんが、感覚としては近いものがあります。

目的達成のためには力ずくで達成を最優先するという目標指向型の性格を備えているものと言えます。


日本語は、アジアの果ての小さな島国でほとんど世界の勢力図には現れることがなく独自の文化言語を熟成することができたものです。

国としての存在が脅かされるような侵略に晒されることもほとんどなく、世界大戦の敗戦国となりながらも基本的な精神文化伝統を維持することができたために独自の文化言語を継承し続けることができました。

言語の語順を見てみると、SOVが基本となり文の最後に結論としての動詞が来ることになります。

スペイン語同様に、主語が省略されることが頻繁に起こります。

修飾語が豊富にありいくらでもつなぐことができるために、修飾語と被修飾語の関係を読み取るのが大変になります。

語順も状況に応じてかなり自由に変化することがあります。


ラテン語を起源としているスペイン語の用法とは、かなり近いものがあるのではないかと思われます。

語順が厳格に運用される言語である英語や中国語の性格が目標指向型であることに対して、日本語やスペイン語は環境の変化に自在に対応して自己を変化させていくことで対応する状況対応型の言語であると言えると思われます。

目標指向型が、明確な目標を立ててそこに至るベストの選択肢を選んで達成することに重きを置くことに対して、状況対応型は比較的抽象的な目標であっても現状を把握し対応することに重きを置くことになります。

目標指向型が目標を達成することに最大の価値を見出すことに対して、状況対応型は現実的な状況においてその都度適応していくことを重視しているのです。

目標指向型においては、環境は目標を達成するために利用すべきものであることになり、状況対応型においては環境は常に適応すべき対象となるものになります。


わたしたちが、その国の民族の特徴だと思っていたことはその民族が持っている言語の特徴そのものではないでしょうか。

言語は時代によって変化していくものでもありますが、基本的な感覚や性格はそれほど簡単に変わるものではありません。

使用している文字や発音は違っていても、日常的に使われている語順や構文を知ることによって言語の持っている基本的な性格がわかると思われます。


近代社会を作ってきた文化と技術は目標指向型の言語によってなされてきました。

目標指向型によって作られた社会は、地球という環境を目標達成のために利用してきました。

その社会に継続性がないことをみんなが分かってきましたが、目標指向型では次に進むべき目標が定められていないのです。


明確な目標が定められない目標指向型はストレスを募らせることになります。

やるべきことが分からないのに募るストレスはいろいろな場面で拙僧なく爆発してしまいます。

これを解消するには状況対応型の思考と活動が必要なのです。


目標指向型の言語感覚が苦しんでいる現在は、状況対応型の言語感覚が求められているのです。

「Que Será, Será」(ケ セラ セラ)の感覚が大切な時代になっているのではないでしょうか。

状況対応型の言語をもった国の人たちが、もっと積極的に発言をしていく時なのかもしれませんね。


お互いの解決しにくいところに対してより良い選択肢を提供できることも性格が違っていることのメリットではないでしょうか。

目標指向型一辺倒で来てしまった世界に、少しでも状況対応型を入れることでより良い方向性が見いだせると思われます。

個人の持っている性格とともに言語の持っている基本的な性格も理解しておく必要がありそうですね。