漢字は、現存する文字のなかで唯一の表意文字だと言われています。
表意文字とは、表音文字と対応して用いられる文字の特徴を表した表現です。
表音文字は、文字そのものに意味はなく発音記号のようにその文字が意味するものはその音だけを表すものです。
文字と音が一対一で対応している場合が多いですが、英語における母音のように使われ方によって複数の音に変化するものもあります。
表意文字は文字自体が持っている固有の意味を表す文字であり、音とは直接的に結びつかないものとなっています。
したがって、文字の並びを見ただけではどのように読むのか分からない場合もあることになります。
現存する表意文字は漢字だけだと言われていますので、漢字を標準的な表記文字として持つ言語は他の言語から見るときわめて特殊な言語として見られることになります。
中国語は基本的には漢字だけでできていますので表意文字だけでできている言語となります。
文字として書けばほとんどの人が理解できるのですが、音だけでは言葉として理解できないことが多くなっており代表的な方言だけでも10以上存在している状態です。
そのためにピンインと呼ばれる発音記号が設定されており、文字に対しての唯一の表音方式として国を挙げて推進しているものとなっています。
日本語も漢字を使用していますが、漢字だけでは日常会話すら成り立ちません。
漢字と仮名の混用が標準的な表記方法となっています。
漢字は表意文字ですが、仮名は表音文字です。
仮名の成り立ちは漢字から来たものとされていますが、仮名として使用されている限りにおいては一文字ずつに意味がある文字とはなっていません。
発音としての音を表すための記号としての表音文字となっているものです。
日本語の仮名はかなり厳格に一文字一音の対応となっていますが、「は」と「へ」については助詞としての使われ方によっては「ワ」や「エ」と言う音に替わる場合もあります。
さらに日本語の漢字には、漢語読み(呉音、唐音、漢音など)からきた音読みと日本独自の言葉である「やまとことば」に当てはめた訓読みとが存在しており、文字によってはさらに複数の読みを持っていたりします。
中国語としての漢字の使われ方に比べると、和語である「やまとことば」としての読みの訓読みを持っていることで、日本語としての漢字は読みにおいて二面性を持っているということができます。
ほとんどの訓読みは送り仮名を伴って表記されるために、漢字かなの混用表記によってわかるようになっていますが、送り仮名の伴わない訓読みも多く存在しているために使われ方によってはどちらの読みでも可能な場合も出てきています。
熟語によっては重箱読みで有名な「重箱」のように、音読み+訓読みのような組み合わせもあります。
普段の使い方では気がつきにくい、もう一つの二面性が漢字には存在しています。
それは、漢字の使用実態が純粋な表意文字としての使われ方だけではないということです。
表意文字としての漢字を表音文字としても使用しているのです。
しかも、使っている時点ではそれと気づかずに使っているのです。
使われ方としては、文字として持っている意味を利用した表現を行なっていると同時に、その読み言葉が文字の持っている意味とは異なったものを表している場合があるのです。
充て字と言われるものはほとんどがこの類であると言えるでしょう。
わかり易いところで見てみれば植物の名前が挙げられるでしょう。
無花果(イチジク)、百日紅(サルスベリ)、馬酔木(アセビ・アシビ)などが代表でしょうか。
無花果と百日紅はもともと漢語にあった表現です。
それに日本語としての同じ植物の読み方を充てたものとなっています。
文字通りの意味を見てみれば、無花果は花のない果実ということになってしまいます。
見た目にはそのように見えたのかもしれませんが、れっきとした可愛い花が咲くことはご存じのとおりです。
「嫁に食わすな」と言われたのは、文字通りの意味をとらえた解釈だったのでしょうね。
百日紅も中国で使われていた名前です。
同じ植物に対して日本ではその幹の滑るように見える特徴から「サルスベリ」と呼んでいたために、このように表現されているものです。
場合によっては「猿滑」と表記されることもあるようですね。
無花果にしても百日紅にしても文字の意味を追っていったのでは到底「イチジク」や「サルスベリ」にはいきつきません。
その意味では「イチジク」や「サルスベリ」を表す表音文字として使われていると言っていいのではないでしょうか。
反対に表意文字として読んでしまえは、花がなくても果実がつく植物であったり百日も赤くなっている植物であったりとして、現実にはありえないものとなってしまいます。
この文字が使われた由来は理解することができると思います。
そのように見える特徴をとらえて表現したのであろうという推測は容易にできます。
しかし、この文字を使用したことによって実際の「イチジク」や「サルスベリ」を知らない場合には、花をつけない果実や百日間の赤い花を思い浮かべてしまうのではないでしょうか。
馬酔木については日本に自生する植物であるために中国から来た言葉ではないと思われます。
日本でつけられた漢字の名前ということができると思います。
毒を持った植物であり、馬が葉っぱを食べると毒にあたって酔ったようにふらふらになるということから付けられた名前と言われています。
草食哺乳類は本能的に食べるのを避けますので、この木だけが残って目立つことが多くなります。
馬も実際には食べることはありませんが、その毒性に注目してつけられた名前ではないでしょうか。
それぞれにとても情緒のある美しい文字だと思います。
それぞれの植物の特徴の一部をとらえた日本らしい美しい言葉であると思います。
しかし、この言葉が一人歩きをした時にはどうなるでしょうか。
無花果、百日紅、馬酔木が表音文字で「イチジク」「サルスベリ」「アセビ」と読むのであれば問題はありませんが、表意文字としての使い方を利用した音として利用されているのです。
植物などは情緒がある表現として使われることが多いためにそれほど問題がないのかもしれません。
それでも表意文字としての漢字の持っている意味からは一ひねりも二ひねりもされた謎かけのようになっていると思われます。
先日例に出した「鎖国」という言葉も同じことが言えると思います。
(参照:「鎖国」は本当に鎖国だったのか?)
文字の持っている意味からすると外国との交流を遮断してしまったかのイメージを受けるものです。
実際の政策は幕府による貿易交流の独占的統制だったのです。
漢字で表現することは常に二面性があることを考慮する必要があるのではないでしょうか。
それは、その文字が表意文字として表している内容とその漢字の音が持っている言葉が表している内容です。
思いつく漢字の表現を見てみても、この二つが完全に一致している言葉はなかなかお目にかかることができません。
一般的な漢字表現は文字そのものが意味を持っていることによってそのことに頼り切ってしまっているのではないでしょうか。
その文字が表していることは確かに対象の一部かもしれませんし一番の特徴かもしれません。
しかし、伝えたいことは本当に文字が意味していることだけなのでしょうか。
イチジクの花のきれいさを伝える時には無花果とするよりもイチジクとした方が親切ではないでしょうか。
誤解が少なくなるのではないでしょうか。
そのためには、漢字言葉による表現をできる限りひらがな言葉による表現に置き換えてみることが大切になります。
言葉数は多くなりますが、より正確なわかり易いものとなるはずです。
訓読み漢字は文字の持つ意味と言葉の持つ意味が一致したものとなっています。
ひらがなは文字で書いても音だけであっても全く同じものとして理解出来るし伝わることができます。
音としてのひらがな言葉を漢字にして表現したものが訓読み漢字です。
音としてのひらがなを文字として補足したものとなります。
ひらがなと訓読み漢字による表現を「現代やまとことば」と呼んでいます。
漢字の表現による文字としての意味と言葉としての意味のギャップを作らないための最良の方法です。
言葉としては全てがひらがな言葉になりますので、子どもから老人まで誰にでも理解できる表現となります。
漢字の持つ二面性は、文学的な表現や情緒を奏でるためにはとても素晴らしい効果につながるものです。
しかし反面、精確に伝えたり同じ理解を求めたりする場合には誤解を生む可能性が高い表現でもあるのです。
それは、文字の持っている意味が独り歩きして強調されるからです。
漢字で表現したときには、文字の持っている意味と言葉の音として持っている意味の違いに注意をしておきたいものです。
せっかく持っている表意文字である漢字を効果的に使っていきたいものですね。