実際に聞こえている日本語の音は「ひらがな」の音でしかありませんので、まずは日本語の言葉の音としての「ひらがな」の音を他の音と聞き分けをしなければ言葉を聞き取ることができません。
第一段階としては、話をしている人が発している日本語の言葉の音のを他の音と区別して聞き取ることがあります。
周りに雑音や大きな音がある場合に聞き取ることが難しいことになるのがこの段階の聞き取りです。
まずは発信者の伝えている「ひたがな」の音を掴みきらなくてはなりません。
しかし、発信者はほとんどの場合は「ひらがな」の音で発信していることを自覚していません。
むしろ、自覚できていること自体が珍しいと思われます。
発信者は自分の思い描いた漢字やカタカナ・アルファベットがそのまま言葉として相手に伝わるような錯覚を持っています。
しかし、実際に伝わっているのは「ひらがな」の音として伝わっているだけであって、言葉にはなっていないのです。
聞き手にとっても意識はしていなくとも最初は言葉になる前の「ひらがな」の音を聞き取っていることになります。
第二段階には、聞き取った「ひらがな」の音を手掛かりとして言葉を聞き取ろうとします。
前後の音のつながりから一つの言葉であろうと理解した「ひらがな」の音のつながりが、自分の持っている言葉の音と一致すればすぐに言葉に置き換えられますが、言葉だろうと思った音が自分の持っていない音の場合もあります。
その場合は、言葉であるだろうと推測の元に意味の分からないままキープしておくことになります。
第二段階では、「ひらがな」の音として聞こえているものから言葉として聞き取ろうとする行為になります。
この段階で既に、発信者が伝えたいと思っている言葉と聞き手が理解した言葉とが違っていることが起こり得ます。
それは、言葉が直接伝わっているわけではないことによって起こっていることです。
実際に伝わっているものが「ひらがな」の音ですので、そこから言葉に変換する行為があることによって違いが発生する可能性があることになります。
同音異義語における言葉の選択や音のつながりによる言葉の切れ目などはこの段階で行なわれていることになります。
「ひらがな」の音からその言葉が漢字なのかカタカナなのかアルファベットなのかの判断もこの段階で行なわれていることになります。
音のきき間違いによる言葉のとり違いも実際に起きておるのはこの段階になります。
第一段階では「ひらがな」の音を聞きました。
第二段階では、「ひらがな」の音を聞き分けることによって言葉を聞くことになります。
第三段階では聞き取った言葉に対して理解するための意味を与えなければなりません。
この段階では、発信者の持っている言葉の意味と聞き手の持ってる言葉の意味が全く同じであることの方が稀になります。
同じ言葉であってもその言葉の使われ方や持っている意味は一人ひとり異なるものとなっていることが多いからです。
厳密な言い方では、同じ言葉に対してもその意味や解釈については一人ひとりすべて異なっていると言えるでしょう。
したがって、聞き手は聞き取った言葉に対する意味として話し手の使っている意味にふさわしいものを撰ぶことになります。
言葉を聞き取りながら瞬時に行なっていることになります。
この段階では、聞き取った言葉を基にして話している内容を聞くことになります。
共通の意味を持った言葉であればここまでの段階は比較的スムースに行なわれることになりますが、双方の間に言葉の使い方や意味に共有性がないと内容をきちんと聞き取ることができなくなってしまいます。
第一段階の「ひらがな」の音や第二段階の言葉がきちんと聞き取れて初めて第三第階の話の内容が聞き取れることが可能になることになります。
一般的に話を聞いていることはここまでのことを言っているのではないでしょうか。
ところが、聞き手が意志を持って聞いている場合にはさらにこの先のことが行なわれます。
それが第四段階として発信者の気持ちを聞き取ることです。
話しの内容を理解することを通して、発信者がどんな気持ちでその内容を話しているのかを聞き取ることを行なっていきます。
それは、発信者から具体的な気持ちを表す言葉として伝えられることもあれば具体的なものとしてではなくニュアンス的な感覚として伝えられるものでもあります。
話し手の気持ちを聞きとることが行なわれているのです。
話しに共感するための第一歩になります。
更に第五段階として、話し手がそのような気持ちになっている状況や環境を聞き取ることが行なわれます。
その環境を聞き取ることができて理解・解釈ができた時に、その環境における話し手の気持ちに対しての共感が生まれる可能性があることになります。
人の話に感動したり共感したりするということはこれらの段階を通して行なわれていることではないでしょうか。
音を聞き、言葉を聞き、内容を聞き、気持ちを聞き、環境を聞いて初めて何らかのアクションが可能になるのではないでしょうか。
第四段階以降は聞き手側の勝手な行為であり解釈で行なわれていることです。
しかし、第三段階までは発信者である話し手との共有ができていないと解釈が異なってしまいます。
伝えたいことと聞き取ったこととの間に違いが生じてしまうことになります。
第四段階以降のこともすべて第三段階までの共有性がもとになっていることです。
そこまでで違いが存在しては見当違いの共感であり批判になってしまいます。
聞くことの行為の中には聴くや利くと同じように訊くという行為が含まれています。
受け身の聞くだけではなく相手に対して確認する訊くという行為も見逃すわけにはいきません。
日本語による聞くという行為は、ここまでのことを含んでいるのではないでしょうか。
表面的な言語による表現だけを理解し解釈しようとする感覚とは大きな違いがあります。
行間を読む、一を聞いて十を知るなどの意味がこんなところにもあるのではないでしょうか。